椿山の入口につくばいがあります。つくばいとは茶室前に置かれる手水鉢(ちょうずばち 手を洗って身を清めるもの)のことです。
このつくばいの本物を知っている人もいらっしゃると思いますが、枯山水で有名な龍安寺にあり、水戸黄門様が寄進されたと言われています。
つくばいの水をためておく真ん中の四角い溝を口の字に見立てると、稲垣吾郎さんの吾、浅香唯ちゃんの唯、足ながおじさんの足、知識の知、になり、吾 唯 足 知(われ ただ たるを しる)と読みます。直訳すると、私は満ち足りていることだけ知っている、ということになり、満足することを知っている者は貧しくても幸せであり、満足することを知らないも者はたとえ金持ちでも不幸である、と禅では教えています。
物や情報に満ち溢れた時代にあっても、人はそれぞれ、衣食住、地位、名誉等のモノサシを心の中に持っていて、自分にとって必要なもの、必要なモノサシを知る、そしてそのモノサシの目盛りで満足することを知りなさい、と言うことでしょうか。
また、龍安寺の枯山水は大小15個の石を配置しただけの庭で、一見15個の石はバラバラに並べられているように見えますが、庭のどこの位置から眺めても、15個の石のうち必ず1個は他の石に隠れており、14個の石だけしか見えないように配置されています。この寺に置かれたつくばいは、15個全部の石を見ることができないことを不満に思わず、14個も石を見れることを満足とする心を持っている者は幸せと教えているみたいです。そしてもう一つの石が見れないことから、足らざるを知る、を悟っています。
たった4文字のつくばいですが奥が深いですね。某国の某大統領には「馬の耳に念仏」ですね。